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暗黙的に求められる成長と生産性・社会性

投稿日:2015-12-08 更新日:

このブログでは、折に触れて成長について書いてきた。

今回は、一言で成長という言葉が用いられてきたとき、何が期待されているかを考えてみる。

成長という言葉のコンセンサス

成長を測定するためには、あるべき姿があらかじめ設定されている必要がある。

あるべき姿は、目標と価値観に分けることができる。
詳しくは別途記事にしたいと思うが、簡単に説明すると以下の通りだ。

  • 目標:ある時点で達成していたい成果。職業、資格、年収など。
  • 価値観:自分が取るべき行動の軸(判断基準)。信頼を大切にする、人の役に立つ、お金を稼ぐ、など。

このどちらかがあれば、目標に近づいたかどうか、もしくは価値観に沿った行動をより多く取ることができたかどうか、で成長を測定できる。

ただ、上記は個人的な目標・価値観に基づいた、カスタマイズされた成長に関する話しだ。
一方で、「おまえ、成長したな」とか「もっと成長してくれないと困る」といったように、成長という言葉が一般的に使われる場面も多い。

これは、あるべき姿が一般に暗黙的に了解されている、という前提に基づいているからだ。
そして、暗黙的なあるべき姿とは、一般に生産性社会性に分類されると思う。

生産性に基づく成長

以前よりより少ないリソースで、より高い成果を出せるようになったら、それは成長と呼べるだろう。

ある物事について、多くの経験を積んで、パターンを学習すれば、自ずと効率化される。
また、その物事について学び、知識を体系化すれば、より高い成果を出せるようになるだろう。

ただし、生産性を上げることも、ある一定以上をいけば社会性に基づいた判断を経ることになる。
というのも、生産性を上げるためには勉強や訓練にコストを費やす必要があり、機会損失が発生するからだ。
特に、一定の生活水準以上を求めるかどうかは個人の価値観に大きく依存するわけで、いくら生産性を上げることが成長の一環だとしても、生産性を追求することに価値を見出す人もまた多くないだろう。

社会性に基づく成長

社会性を身につけることは、「大人になる」と表現されることもある。

これは抽象的な概念であり、しばしば煙に巻くために使われることもある。
特に上司からこの意味で成長という言葉を使われたら、何をどう頑張っていいか分からないだろう。

人間は社会的動物だから、他人との関わりは避けて通れない。
避けて通れないどころか、うまく関わって相乗効果を発揮することで、一人では上げられない大きな成果を上げるのだ。

だから、この意味での成長とは、他人とうまく相乗効果を発揮できるようになるということだ。

そのために必要なことはいろいろある。
たとえば以下のような要素があるが、それぞれは独立しておらず、絡み合って社会性を構成する。

  • 信頼を築く
  • 効果的な意思伝達ができる
  • 他人の立場を理解できる

この意味での社会性は、コミュニケーション能力と呼ばれることもあるだろう。
また、大上段から人間的な成長などと呼ばれる。

大人になることと子どもでいること

冒頭で述べたように、これらは暗黙的に共有されているあるべき姿だ。

だから、個人的に描いているあるべき姿とは違う、という状況は普通に起こりうる。
そのときに、自分の求める成長と、他人の求めてくる成長のどちらを取るかは、自分で選択しなければならない。

社会性を身につけることは大人になると言うことだが、それは同時に現実に適応することも意味する。
評価とは、自分で下すものではなく、周囲が下すものである。
したがって、評価されたければ、他人が求めてくる成長を遂げるほかない。

だが一方で、子供じみた夢を追いかけ続けることにも間違いなく価値があり、そうして諦めない人が大きな成功を掴むのもまた世の常だ。
他人のことを省みずに、蹴落とし続け、社会的に成功を収めている人も少なくないだろう。

夢を追いかける意志は自分だけのものであり、大人の世界に適応するのは諦めを意味するだろう。
だが、チャンスは他人が与えてくれるものであり、他人の求める成長を遂げることで周囲の評価を得ることもまた大切なのだ。

最終的には暗黙的な成長なんてどうでもいい

社会的にトップレベルにいる人たち(政府首脳、大企業の経営陣など)は、もはや他人から成長を求められるとかいうレベルではないと思う。
このレベルになると、自分でどう成長するか決めて、自分で頑張る以外ないだろう。

自分は、社会人になりたての頃から数年は、社会性の成長に反発していた。
上述した通り、それは大人の世界に迎合するように感じられたからだ。
しかし、あるとき、目の前のことに全力を出せない人間が将来大きな成果を出せるわけがない、という風にパラダイムシフトをして、受け入れるようになった。
そうしたら、仕事上の評価も上がり、新しいチャレンジの機会も増えた。
受け入れたからと言って失うものなどないはずなのだから、先人たちの助言はありがたく聞いておくべきだ、というのが今の自分の意見だ。

結局のところ、どういう人間になれば自分が幸せになるのか、自分で定義するしかない。
人生とはかくも孤独な作業なのである。

以上!

-Life

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