Square Beat Engine

Blog for variety of things…

Life

ペースは人それぞれ

投稿日:2015-02-11 更新日:

昨日の投稿でちょっと触れたが、ペースは人それぞれというのが自分の持論だ。
世の中は、一般水準や常識を個人に押しつけたがるものである。
その中でも、年齢による比較やレッテルは合理的なことも多いが、理不尽な決めつけも多い。

レッテル:年齢による期待

一般的には、年齢に応じて期待される役割として、以下のように分類されるかと思う。

  • 20代:やる気、元気、学ぶ姿勢
  • 30代:学ぶ姿勢だけではなく、実績を出して一人前になる時期
  • 40代:個人としての成果を出しつつも、20代・30代を教育する
  • 50代:社会人として成熟しつつある時期。それまでに培った経験を活かし、大きな絵を描いたり、後進の育成に当たる。
  • 60代:人生の着地を見据え、後進の育成やコミュニティへの「人格的」貢献を考える時期。ここからさらに大きな社会的影響を与える場合もある。(政治家など)

自分はまだ30代だから、40代以降がどのくらい当たっているかはわからない。
そうでなくても年齢が上がるにつれて分岐の度合いが大きくなるはずなので、分類すること自体が難しい。
ここでは分類の正確さは重要ではないので、違和感のある場合は各自の経験に照らして読んでほしい。

個人的な話:遅れに対する劣等感

学生時代、とくに思春期に当たる時期は、大きな分岐点になる。
個人的な感覚に過ぎないが、「毒になる親」の影響は、思春期までは表面化しにくく、ここが大きな分岐点となる。
言い換えれば、まっとうな人間になるための最後のチャンスが思春期だ。

自分の親は、(程度はわからないが)紛れもなく毒親であり、あまり正常な学生時代を送ることができなかった。
紆余曲折あり、何とかまともな社会人としてスタートを切ることができたが、全体的に遅れた感じで進んでいる。

そのため、

「もっと早く気づいていれば!」

ということが多い。

英語の勉強も、学生時代にきちんと勉強していれば、今になってこんなに時間を割くことにならずに済んだはずだ。
学生時代に英語を勉強し、今はビジネスを勉強したり、より積極的に仕事にチャレンジする方が理に適っているのだが、英語を勉強しているために機会費用が発生してしまっている。
英語の勉強をすること自体に疑問を持つこともあるが、自分で決めたことなので、習得するまで続けるつもりだ。

年齢を気にしすぎ

世の中の人に対して、とても驚くのが、年齢で人を判断したり、自分と比較することだ。

もちろん、目上の人に敬意を払ったり、年下の面倒を見る、というのは大事なことだ。
これらは、短期的合理性というよりも人類が築いてきた智恵の一部であり、倫理に属するものだ。
その作法は宗教的規則に似ていて違和感を覚える人も少なくないと思うが、社会の秩序を保つために必要なコストだと判断できる。

だが、年齢で人と比較することには意味がないのではないだろうか。
人それぞれ生まれ持った才能があり、環境は自分で決められない。
子どもにさえ環境を決める能力もあるが、それさえ才能である。

何かを身につけるために、たくさんの時間が必要な人もいるし、ごく短時間で済む人もいる。
勉強が短時間で済む人はいい大学に進み、たくさん給料をもらえるかもしれない。
勉強に長時間かかる人は勉強が嫌いになって、安月給でこき使われるかもしれない。
でも、人は与えられた才能で闘うしかないのだ。

だから、同年齢同士で年収を比較するのも無意味だ。
自分にも、18歳でプロ野球選手になる人には憧れや嫉妬はあるが、比較しても仕方ないのだ。
同じように、40歳で定職に就かない人もいるが、べつに軽蔑の対象とは思わない。

結論:大事なこと

結局のところ、今の自分にできることを精一杯やろう、という結論にたどり着いてしまう。

人と比較するのはやめよう、という書籍やネット記事をよく見かけるが、比較したがるのが人間の性だから、比較するのだ。
自分もいまだに他人に対して嫉妬しまくりなわけで、それが悪いことだとは思わない。
ただ、嫉妬に向けるエネルギーがもったいないから、それを仕事や勉強に向けて、自分のために費やしたいだけだ。

そのためには、人と比較するのはやめようと考えるのではなく、自分の生き方や目標の仮説を立てて、今できることをやるように考えている。
自分のやるべきことに集中していれば、他人のことは気にならなくなるものだ。

あまりに一般常識(年齢に応じてかけられる期待)を無視するのも、社会性を欠くと言わざるを得ない。
よっぽど強いリーダーシップがあれば、一般常識など無視して自分の価値観を貫けば良い。
企業家をはじめとして、世の中に大きな貢献をしている人たちは、むしろこういうタイプが多いのではないだろうか。

ただ、リーダーシップもなく、仮説も立てず、ただマイペースを貫きたいだけという姿勢は、ただのわがままだ。
わがままを通したいのであれば、リーダーになるしかないのだ。

以上!

-Life

執筆者:


comment

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

関連記事

やる気が起きないときのコツ

やるべきこと、やりたいことがあるのに、やる気が起きないことってありますよね。 自分はごく平凡な人間(よりさらに怠惰な人間)なので、そういうことがよくあります。 やる気が起きないときにすべきこと やる気 …

人生の責任は自分で取れよ

自分の人生の責任は、自分で取るしかない。 自分は、この原則に気づいてから、少しずつ他人のことを気にしなくなってきた。 気にしないというのは、気遣いや思いやりを捨てるというわけではなく、他人に期待しすぎ …

志はなぜ大切なのか

最近、「志(こころざし)」という言葉を聞く機会がほとんどない。 これは大変に嘆かわしいことだ。 ビジネスの場では、ビジョンや目標という単語によく出会う。 これらは、自分視点で語られることが多く、志とい …

正当な客観的評価という幻想

経営書を読んだりすると、人材評価を科学的にやろう、という考え方が紹介されていることがあります。 こういう組織論みたいなのは意外とトレンドがあって、「どこの会社も苦労してんだな」って感じなんですが、まあ …

感情表現度

感情を表に出さないというのは、正負の両方を表現しないと言うこと。 自分は、普段は負の感情(イライラ)を表に出さないように努力しているのだが、つられて正の感情も表現されなくなっているのではないか、とふと …